
同じ物語でも視点によって話が変わる
歴史 恋愛 オムニバス 短編小説シリーズ「恋愛群像ヒストリカ」は、エブリスタさんに投稿しているバージョンとSSブログに載せているバージョンとで視点(主人公)が異なります。
恋愛の当事者である男女ふたりの“男性視点”と“女性視点”をそれぞれ描いているわけです。
(なんとなくメリハリをつけたくて、どちらも性別を交互に載せています。)
同じ事実を見ていても、語り手によって全く印象の違う物語になる――それはこれまでにも黒沢明監督の映画「羅生門」など様々な作品で描かれてきたことです。
それをいつか自分でもやってみたいと思っていました。
…それをこのシリーズでやるとは、当初は自分でも思っていなかったのですが。
始まりは偶然で、第1作の「異国へ嫁ぐ王女と、その教育係」の執筆にとりかかろうとする時、「教育係」視点にするか「王女」視点にするかで迷ったのです。
…で、思考錯誤しながら両方とも書いてみて…「どうせなら両方とも載せてしまおう。せっかくSSブログがあるのだから、投稿小説版とブログ小説版で視点を変えてみれば面白いじゃないか」となってしまったのです。
(津籠の小説の独自機能や独自システムは、だいたいいつもこんな感じで始まります。)
第1作はストーリーがほぼ一緒で、細部が異なるくらいだったのでラクだったのですが…
第2作はいろいろ異なる部分が多くて、実質「1作品で2作品分」の労力がかかってしまいました…。
…まぁ、書いていて面白かったので、苦労とは言え「苦ではない」というビミョウな感覚ではあるのですが…。
(結末が処刑な話を書いていて「面白い」と書くのも語弊がある気がしますが…。←面白かったのはストーリー自体ではなくて、「視点を変えて書く」ことの方です。念のため。)
作者、あるいは読者からすれば「神の目線」で物語全体を見通しているので「実は両想いなのになぁ!」などと二人の心情を把握できるわけですが、登場人物目線の一人称では“相手の心”など知りようもないので、すれ違ったり、誤解したりします。
それが、書いていてとてもスリリングでゾクゾクしたりするのです。
人間は一人一人、育ってきた環境も価値観も考え方も違います。
また「勝者と敗者」「加害者と被害者」といった立場の違いにより、同じものを見ていても真逆の感想を抱いたりします。
そういった「違い」を書き表していけたら面白いなぁ…と思うのです。
