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JASRA○問題にモヤモヤ…


何年かに1回くらいの割合(?)で、JASRA○さんの話題が新聞やらニュースやらに載るので、そのたびに何だかモヤッとするのですが…。

しかも、その新聞記事やらニュースやらの情報量が少なすぎて詳細が把握できないので、そのモヤモヤを晴らそうと思考をめぐらせようにも判断材料が足りなくて、余計にモヤモヤが増してしまいます。

一番最近のものでは確か「ヤマ○さん等の大手の音楽教室約900ヶ所から年間受講料収入の2.5%を(演奏権に伴う)著作権料として徴収する案をJASRA○さんが出している」というものだったと思いますが…。

このニュースを知った時、まず自分がビックリしたのは「演奏権料ってあらかじめ楽譜とかの料金に含まれていなかったんだ!?」ということでした。

楽器演奏にはだいたいの場合、楽譜を使うのだから(←暗譜して演奏する方もいらっしゃるでしょうが、耳コピなどでない、ちゃんとした、作曲家さんが作ったそのままの形の“曲”を演奏するなら、最初に1回は必ず楽譜を見るものだと思うのですが…。)、そこに最初っから演奏権の料金も含めておけば分かりやすいし取り逃がしもないし(?)カンタンなことこの上ないのに…というか、演奏することを前提に作られているはずの楽譜が演奏権について何の考慮もしていなかったとしたら、むしろ「それ」が何でなんだろうと疑問なのですが…。

それって法律的に不可能なものだったりするんですかね?
(でもWEBデザインの素材集とかには「使用許諾範囲」ということで「○○には使えます」みたいなことが書いてあったりするのですが…。ああいうの、楽譜では不可能なんですかね?)

…と言った具合に頭の中がクエスチョン・マークだらけになったのは、自分だけなのでしょうか…?

それとも楽譜の購入に払う代金は1回きりだけど、演奏は何回もするからその都度徴収…という考えなんですかね?

でも、音楽教室での演奏なんて、生徒の技量次第で何回になるか分からないですし、必ずしも一曲通して演奏するわけでもなく、特に難しいフレーズを何回も繰り返し演奏したりするものなのに、そもそも回数としてカウントすることが可能なんですかね…?

まぁ、だから1回につき何円ということではなく、年間何%ということになっているかも知れませんが…。

でもその年間収入から2.5%というやり方が、それはそれで「それって誰の曲を何回演奏したかという申告は必要ないのかな?だとしたら、どうやって著作権の利用状況を把握するんだろう?それでもって、どうやって入ってきた著作権料を作曲家さんたちに適切に分配していくんだろう?」と疑問に感じてしまって、モヤモヤするのですが…。

それとも、誰の曲が何回使われたか等は一切考慮せず、全員に同額を分配していくのでしょうか?

だとしたら、それはそれで、相当な回数を演奏されたにも関わらず少額しか支払われない人と、一回も演奏されていないのにお金が入る人とが出て、また別のモヤモヤが出てくるのですが…。

あと、対象となる約900ヶ所の音楽教室さんの年間受講料収入2.5%を徴収、というのは、その900ヶ所のうちの何割かの教室さんが、もし著作権の切れた曲しか教えていない教室であっても、そういったこと一切関係ナシに2.5%が取られていくのでしょうか…?

(それとも音楽には著作権の切れたものって存在しないのでしょうか?クラシックとかって、作曲家さんの死後かなりの年月が経過している気がするのですが…。)

あと、そもそも「音楽教室さんから2.5%の演奏権料を徴収する」という案は、どういう手続きでもって進められたのでしょう?

JASRA○さんに著作権の管理を委託(?)している作曲家さんなり会社さんなりの意見をあらかじめ聞くなど、そういった意思確認のプロセスみたいなのって無いものなんですかね…?

確か何人かの作曲家さんが「音楽教育にはタダで私の音楽を使わせてあげて欲しい」という意思を表明されてらっしゃったと思うのですが…。

もし、そういった作曲家さんの意思に反して演奏権が事実上「お金で売られてしまう」のだとしたら、それは何だか著作権法の存在意義自体に対してモヤモヤしたものを覚えるのですが…。

それに、下手をするとこの国の音楽文化のスタイル自体を変えてしまいかねない事柄が一団体の内部だけで決められてしまうという、そのこと自体にも何だかモヤモヤしたものを覚えます。

JASRA○さんが何かしようとするたびに世間で反発が起きるのは、きっと「それ」が一般市民の感覚から見て「やり過ぎ」に思えるから…という気がしてなりませんし。

「それ」を世間に発表する前に、予め、一般市民の意見を広く募るとか、知識人やら専門家やらの第三者の意見を求めるなどして、「それ」が社会通念に照らして妥当かどうかを見極めておけば…もしくは、あくまでもそれが妥当だと思うなら、予め一般市民に「納得のいく説明」を広めておけば、後々の炎上やらイメージ低下を少しは避けられるのではないかと思うのですが…楽観的過ぎますかね…?

と言うか、そもそもが一般人には分かりにく過ぎる「著作権」、JASRA○さんなどの著作権に関わる団体さんがもっとそういった知識を分かりやすく広める等の啓発活動を積極的にしてくれればいいのになぁ、著作権的にOKなのかNGなのかよく分からないグレー・ゾーンについて一般人や専門家の意見を交えつつ白黒ハッキリさせていくみたいな活動をしてくれれば、もっとイメージUPするのになぁ、あと企業さんだけでなく一般の個人でも著作権をカンタン・分かりやすく(ネットでポチポチ操作してクレジット・カード決済とか。音楽を一曲ダウンロードするような気軽さ&お手頃価格で)利用できるようになれば様々な問題も解決する気がするし著作権料収入も上がるしお得だと思うんだけど、そういうシステムなり制度を整備してくれないものかなぁ…などと思うのですが、ワガママですかね…?

現代コミュニケーションの適切な距離感が分からない。


自分もフツウに現代に生きる現代人なわけですが、コミュニケーションにおける「ちょうど良い」距離感が分からず、戸惑い迷うことがしばしばあります。

特に、ネット上でのコミュニケーションにおいて、ですが。

リアルに顔と顔を合わせてのコミュニケーションなら、相手の言動や反応などである程度は距離感を測れたりもしますが、顔も性別も年齢もほとんど分からない相手ではそうもいきません。

何かあるごとに丁寧に挨拶やお礼、(相手に(余計な)手間をかけさせてしまった場合などの)謝罪などをした方が良いのか、それとも多忙であろう相手に、いちいちそんな毒にも薬にもならない連絡をとっていてはかえって迷惑になったりウザがられたりするのではないか、など…。

相手の気持ちが分からない以上“答え”など分かりようもないのですが、それでも悩んでしまったりするわけです猫絵文字(汗笑)

(結局、どの程度のコミュニケーションが『ちょうど良い』のかは個人個人によって違うわけですから、普遍的な答えは存在しないんですよね…。)

何となく「連絡は不要です」とある場合や、メールのやりとりがごくごく事務的な相手の方には「あまり積極的なコミュニケーションを望まない方なのかな」と思い、こちらも必要最低限のみのコミュニケーションにしていますが、それが正しいのかどうかは人生経験の浅い自分にはまだまだ分かりません。

もっとも、双方向ではない一方通行の連絡手段があれば(「返信不要」を選択できるメールフォームやそもそも返信用メールアドレスを入れない片道タイプのご意見フォームなど)、そこでなら迷惑にならないかな、と思うのでさらりとお礼なり一言なり気がねなく送れるのですが、そういったものがなかったり、あっても不具合で作動しなかったりすると「うん。これはそういった連絡すらもしなくて良いと『運命』が言ってるんだな」などと自分で勝手に(ナゾの)納得をして何のアクションもとらなかったりしてしまいします…。

ちなみに自分の場合、ご感想やご意見をいただけるのは普通に大変うれしいですし励みになります猫絵文字(上ハート)

ただ、メールチェック頻度が低すぎるため(←最初のうちは1週間に1回くらいは必ずチェックしていたのですが、滅多にメールが来ないのと、来てもほとんど知人・友人からだったりするため最近油断しがちなのです…。)たまにメールが来ていると「ひょっとして大事なメールを長期間放置してたかも!?猫絵文字(びっくり3)」と思いヒヤッとすることが結構あります…。

あと、メールのやり取りの時などに「敬語、これでいいかな?失礼に思われないかな?」「文面、これでいいのかな?もっと何か書いた方がいいかな?」と気にしたりはするタイプですが(←しかも悩んだ末に結局は無難な文面になったりします…。)、コミュニケーションが嫌いというわけではありません(たぶん)。

テーマ : ひとりごと
ジャンル : ライフ

同居の家族にはある程度以上の知識と思考力が欲しいなぁと願う。切実に。


世の中、“女性には教育が必要ない”(あるいは「“ある程度以上の”教育が必要ない」)という考えを持っている人間が一定数存在するらしいですが、正直自分の経験からすると「なんで!?」と疑問に思います。

男性・女性に限らず、世の中の全ての人に教育は必要だと思いますし、特にそれが同居の家族だったら、できうる限りの知識や思考力を備えてくれていた方が絶対に「自分自身の今後の人生および生存のため」に良いと思うのです。

知識や思考力というのは単に勉学や企業活動のみに必要なモノではなくて、人間が普通に生きて生活をしていく上でも必要になってくるものだと思います。

衛生に関する知識だとか、健康に関する知識だとか、町内の決まりごとだとか、法律だとか、国・地方やから受けられるサービスや援助だとか…そういった自分たちに関わってくる知識を「収集」して「記憶」して、いざという時に「活用」する――そういう能力を磨いていくことも教育の大事な役割だと思うのです。

たぶん学習者は学校の教科において何かを「学び、記憶し、その知識をテストで試される」ということを通して、知らず知らずのうちにそういった「知識の収集」「記憶」「活用」のスキルを学んでいるのではないかと思うのです。

現代の先進国において、情報は世の中にあふれています。

図書館の本は無料で読めますし、TVやネット、新聞でも毎日こちらが受け止めきれないほどの情報が流れています。

けれどそれらの中から自分にとって重要と思われる情報をピックアップして「記憶」し、「活用」する能力が無ければ、それらはただ耳や目をすり抜けて通り過ぎていくだけです。

たとえば風邪やインフルエンザの流行期――TVや新聞などではそれらが現在流行っているという情報や「うがい・手洗い」が予防に有効であることが繰り返し報道されています。

しかし情報の受け手がそれを「自分とは関わりのないこと」として聞き流していれば、そして「予防したり、周りに広めないようにすることが大事」という意識を持ってくれなければ、あっさりと家庭内にウイルスや菌を持ち込んで、家族中をダウンさせたりするわけです。

実際、一昨年の年末、インフルエンザが流行っているからと口が酸っぱくなるほど注意して、除菌のできる液体ハンドソープまで(自腹で)買って水道のそばに置き「家に帰ったらうがい・手洗い!」と自分が言っておいたにも関わらず「そんなの大丈夫だよ~」と言ってろくに聞かなかったうちの母親は、あっさりインフルエンザにかかり、しかもそれを家族中に広めたのでした…。

(しかも自分が「何か体調がおかしい。インフルエンザっぽい」と気づいたのは仕事じまいの12月30日の17時間際頃で、その日も残業があったのですが「さすがに無理!」と思って恐る恐る早退を申し出たのでした。当然病院は年末年始の休み期間中で、インフルエンザなのかどうかの診断も受けられないまま年末年始ずっとダウンしていたという苦過ぎる思い出が…。)

そもそもうちの母親はちょっと天然と言うか、いろいろ抜けているというか…小学生当時、風邪をひいて学校を休んだ自分に昼食として出されたものが「いつもよりちょっと長めにお湯でふやかしたぺヤ○グ」と「オロナミ○C」(もう少し成長してからは「リポビタ○D」)だったりしたのですが、それを同僚に話したら「おかしいよ!」と言われました…。

(まぁ、原因は自分が味のついていない「おかゆ」が嫌いだったことにもあるとは思うのですが…。あと、たまにヤマザ○の「まるごとバナ○」が出されたことも…。平常時ならごちそうですが、胃の具合の悪い時にあのバナナ丸々一本とたっぷり生クリームはなかなかにツライものがありました…。)

そんな自分だから思うのです。

世の中、絶対ちゃんとした知識や思考力を備えた人間が多い方が生きるのがラクになる、と。

その方が病気の時にヘンな食べ物を出されたり間違った処置の仕方をされたりしないし(昔ながらの迷信を元に風邪の時にアレしちゃダメ、コレしちゃダメとも言われないし)、そもそもうかつに病気を持ち込んだりされないし、他人に間違った知識を教えて恥をかかせたりもしないし(←子どもの頃、よく親に知ったかぶりの「ウソ」を教えられたりしたのです…。)、社会を上手く回してくれる気がするのです。

きっとその時代その時代の世の中が良いものになるか悪いものになるかは、その時代の社会を構成する人間の「クオリティ(←知識・思考面でも、精神・道徳面でも)」が関わってくるように思うので、絶対ちゃんとした知識や思考力を持った人間が男女問わず一人でも多い方が良いに決まっていると思うのです。

そんな「良くできた」人間が今よりもっともっとずっと増えれば、そしてその人たちが世の中を良くしようと頑張って「考え」て「実行」してくれれば、きっとブラック企業だとか格差社会だとかの諸々の社会問題も、戦争も無くなっていくのだろうな、と本気で思えてならないのですが…。

と言うか、女性に教育は必要ないと考えている人たちは、自分たちがもし重大な病気で突然倒れたりした時に、教育を受けられなかったばかりに知識と思考力の育たなかった奥さんや娘さんに放置されたり間違った処置の仕方をされて、本来なら助かった命を無為に散らすことになったとしても自業自得として受け入れる覚悟ができているということですかね…?

(ちなみに実際の自分の経験ですが、ひどい残業続きで疲れ果て、自宅にたどり着いたはいいものの、食事をとる気力も、コートを脱ぐ気力すら無く、仏間のカーペットの上に倒れ、ぐったり横たわっていた時、うちの母は離れた所からただ一言「そんなところで寝てると風邪ひくよ!」と言っただけで、子の状態を確認しようとすらしませんでした。(←言っておきますが、自分はこれまでそんな風に自室でもないところで床に寝転がっていたことなんて一度もありません。この時が初です。)もしこれがただの疲労でなく、脳梗塞などの突発性の病気で倒れていたのだとしても同じような反応をされて放置されるのだろうな…と思うと絶望で軽く未来を悲観しました。)

そもそもすごい発見をしたりノーベル賞を獲ったりするのは男性ばかりではないわけで(むしろ女性だからこそできた発想で新発見をする人もいたりするわけで)、もしかしたら自分が将来かかるかも知れない不治の病の特効薬を、どこかの女性がいつか発見してくれるかも知れないのに、そんな可能性を女性だからという理由で否定してしまうのは、もったいないどころの騒ぎではないと思うのですが。

まぁ、むしろ問題は「自分以外の人間は自分よりも愚かであって欲しい」ということを考える人たちに「それだと世の中ダメになるし、結局自分自身もえっらい苦労するハメになるんだぞ?コンプレックスや感情論は置いておいて、もっと現実を見つめた方が将来のためだぞ」と気づいてもらわなければいけないということなのかなぁ…とも思ったりするのですが。

テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

じわっと来ている?はにわブーム(INゆるキャラ・グランプリ)


今年のゆるキャラ・グランプリもそろそろ投票締め切り間近。

クライマックスに近づいて来ました。

ふっかちゃん」「みきゃん」など去年の上位陣がエントリーせず、目玉のいない戦国時代とも言われる今年のゆるキャラ・グランプリですが、個人的に注目していることがあります。

それは何と言っても「はにわキャラの大躍進」です!

ゆるキャラと言えばカワイイ動物(特にネコ)が多い中、茶色く地味で、どちらかと言うと素朴でユニークなイメージの強い「はにわキャラ」が今年は旋風を巻き起こしています

現時点では順位が見えない状態になっていますが、ランキングが見えていた時点での最終順位が1位「はにぽん」、12位「はにたん」と結構な上位に「はにわキャラ」がランクインしているのです!

しかも「はにぽん」は昨年7位→1位、「はにたん」はなんと53位→12位の大幅ランクアップ!

昨今「古墳女子」なるものが増えてきているらしいですし、NHKでは「はに丸くん」が復活したりと、これはひょっとするとひょっとして「はにわブーム」がじわじわ来ているのではないかと個人的にドキドキしています。

(津籠のオリジナル小説「花咲く夜に君の名を呼ぶ」のヒロイン(幼少期)のコスチューム・デザインは実在の巫女ハニワがモデル。ついでに後半に登場する女神のキャラデザインも実在の女性ハニワがモデルなのです。)

そもそもゆるキャラの元祖は「はに丸くん」なのではないかと「ゆるキャラ」という概念の名付親である「みうらじゅん氏」が「はに丸ジャーナル」の中で言っていたので(そしてはに丸くんはそれに対して「僕ってゆるキャラなの!?」と言っていたような…。うろ覚えなので細かなニュアンスが違っていたらスミマセン…。)、ゆるキャラ・グランプリでのはにわキャラ上位ランクインは、むしろ正統な流れと言えるかも知れないのです。

「はにたん」と「はに丸くん」は以前「はに丸ジャーナル」内で既に共演を果たしていますが、今年もぜひとも「はに丸くん」にゆるキャラ・グランプリの取材に行ってもらい、「はにぽん・はにたん・はに丸くん」の夢の「はにわトリプル・コラボ」を見てみたい!のですが…他に需要がありますかね…?

ちなみに「はにぽん」は全国的にも珍しい笑っているハニワがモデルのキャラ(そして実物のハニワはゆるキャラのはにぽんより若干コワイ(?)顔)ですが、このモデルとなったハニワを見ると「人間ってこんなに昔から笑っている時の目を三日月形で表現してきたんだなぁ」と感慨深いものがあります。

あと、誤解している人が多いかも知れないので一応書いておきますが「はにわ」は多くの人が「はにわ」と言って思い浮かべるであろうあの片手を上に、もう片方の手を下にやり、目と口をぽっかり開けた「踊るはにわ→踊るはにわ」だけではないのです!

ちゃんと衣服を着ているハニワもありますし、女性もいれば力士もいますし、さらにはニワトリや犬→はにわ犬、当時の家までハニワで表現されているのです。

「はにわ」は言わば、当時の生活を知るための土でできた立体模型。

ただユニークなだけの“人形”ではなく、とても興味深い、日本の昔の姿を知ることのできる資料でもあるのです!

なので、もっと興味を持ってくださる方が増えれば良いなぁと思っています。



ちなみに、上の記事内のハニワ絵文字2種はブログ用に自作しました(ペイントで)。

テーマ : ゆるキャラ
ジャンル : サブカル

人間の『限界』について、そろそろ本気出して考えてもいい時代だろうに…


ブラック企業の問題など見ているといつも思うことなのですが、この世界はそろそろ人間の肉体や精神の活動限界について本気を出して研究やら調査やらした方がいい気がしてなりません。

「『限界』なんて超えてやる」なんてことはスポーツの世界やマンガの中で言っていれば良いことで、現実のビジネスの現場でそれを“人間”相手に本気で求めるのは、ちょっとそろそろ「この企業、頭がおかしいんじゃないのか?」と世間から冷たい視線を浴びせられたりしても良い頃合なのではないかと思うのですが。
(既にもう、そうなりかけているかも知れませんが…。)

既に一部の学者さんなどは「デスクワークで座りっ放しだと血流が悪くなって寿命が縮む」的なこと(←うろ覚え)を研究されていたりしますが、その他にもPCを長時間見続けることの影響だとか、生活リズムの狂いが精神や肉体にどう影響するかだとか、長時間労働の肉体・精神に与える影響を総合的に研究・調査して、その結果を実際の労働現場に反映するということを、そろそろどこかがやり始めてくれないものかと、いつもぼんやり妄想しています。

まぁ、とは言えその『限界』も男女差や年齢差や元々のスタミナ量や性格(悩みやすい性格か、など)によっても変わってくると思いますし、一概には決められないものだとも思うのですが…。

(しかも下手に基準値とか平均値とかいったものを出すと、あくまでも平均で目安にも関わらず「まだ基準値まで行ってないじゃないか。だからまだ大丈夫だ、残業してけ」みたいに“悪用”される気もしてならないのが恐ろしいところですが…。)

ですが、労働時間が長くなれば疲労もその分溜まり、休息が充分にとれなければその疲労が回復することもない、そして肉体の疲労は精神にも作用し、ポジティブなことが考えられなくなるなどの悪影響が出てくるといったことは、べつに頭の良い学者さんでなくても普通に考えれば分かることだと思いますので、そこをあえて「見ないフリ」をしてありえないような労働を強いるのはどうなのかと、本当に思うのです。

まぁ、そもそもの問題の根源は、そんな長時間労働を社員に強いなければ終わらないような仕事量を平気で抱え込んでしまう企業側の見通しの甘さ(もしくは人材確保能力の低さ、もしくは無茶な納期を押し付けてくるブラック取引先やブラック部署との調整能力の低さ)にあると思うので、そこから先に考えていった方が良いのかも知れませんが…。

(従業員のワーク・ライフ・バランスを上手く取りつつ、業績も良い企業のノウハウを自治体やら国やら何らかの団体が取り上げて評価して広めるなどしか、すぐには思いつきませんが…。)

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プロフィール

津籠睦月

Author:津籠睦月
ネコ・犬・小鳥などの小動物大好き人間。
オリジナル小説サイト「言ノ葉ノ森」でファンタジー小説を連載中です。
詳しくは右側の「管理人ホームページ」からご覧ください。

 

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