fc2ブログ

“愛”の反対の反対は…


愛の反対は憎しみではなく無関心」というのはマザー・テレサさんの言葉ですが、この言葉を知った時、ふと疑問に思ったことがありました。

それは「『愛の反対が無関心』なら、愛の正体はそのさらに反対の『関心』なのか?」ということでした。

でも“関心”にもいろいろ種類がありますし、他人の不幸やプライバシーやゴシップやスキャンダルを無闇やたらと知りたがる野次馬的好奇心を愛と定義することには大いに違和感を覚えます。

ならば“愛”と定義され得る“関心”とはどんな“関心”なのか…?

それはたぶん、相手の境遇や事情を“思いやる”ことなのではないか、と自分は思います。

人間という生き物は、無意識のうちに心の中で、自分が好意を持っている相手そうでない相手とで“えこひいき”をしている生き物なのではないかと思います。

同じ行為をされても、許せる相手そうでない相手がいたり、知人友人なら「何か事情があったのだろう」と同情するようなことでも、見ず知らずの他人ならそういったことを一切考えずに断罪したり…。

その“差”を生むもの――それこそが、愛の有無なのではないかと思うのです。

人間誰しも様々な悩みや事情を抱えていて、あらゆる行為や事象には、そんな人それぞれの背景が関わっています。

そんな個々の事情・背景に思いをめぐらすことができるか否か――すなわち“思いやり”の心が、“愛”なのではないか、と思うのです。

ただ、自分ならぬ他人の、表には出ていない事情や背景を推察するには、“人生経験”や“想像力”などのスキルが必要となってきます。

たとえば様々な種類・立場の人間と出会ってきた“経験”があれば、その出会ってきた人数の分だけ頭の中に「世の中にはこういう人間がいるんだ」という“人間サンプル”とでも呼ぶべきモノができているわけですから、ごく限られた人間しか知らない人よりは、より広い視野で相手の事情・背景を推察することができるはずです。

(もしくは、実際には多くの人と会っていなくても、読書によって擬似的な人生経験を補うこともできると思います。)

あるいは“想像力”が発達していれば、自分とはかけ離れた境遇にいる誰かの心情をも、容易に想像することができるかも知れません。

そういったことを考えると、“愛”というものも、学力や体力などと同じく、自分自身で育成していくことが可能な“力”の一種なのかも知れないな、と思ったりするのです。

きっと、人間が他者のことを今よりもっと“思いやる”ことができるようになれば、世の中もっと“幸せ”になる……そんな気がするのです。

スポンサーサイト



テーマ : 生き方
ジャンル : ライフ

プロフィール

津籠睦月

Author:津籠睦月
ネコ・犬・小鳥などの小動物大好き人間。
オリジナル小説サイト「言ノ葉ノ森」でファンタジー小説を連載中です。
詳しくは右側の「管理人ホームページ」からご覧ください。

 

HP・ブログ・投稿小説サイト:不具合情報
最新記事
もくじ(記事一覧)
最新コメント
月別アーカイブ
カテゴリ
その他のブログ
全記事表示リンク

全ての記事を表示する

相互RSS
検索フォーム
<管理人ホームページ>
オリジナル・ファンタジー小説サイト「言ノ葉ノ森」
<オリジナル小説の紹介>
<絵文字&WEB素材>
<QRコード>
QR
<カウンター>
<カレンダー>
01 | 2024/02 | 03
- - - - 1 2 3
4 5 6 7 8 9 10
11 12 13 14 15 16 17
18 19 20 21 22 23 24
25 26 27 28 29 - -
参加ランキング
ねこ写真アルバム
動物写真アルバム【鳥類含む】
アニマル・スケッチブック
トラベル・アルバム
「言ノ葉ノ森」関連ツイートまとめ