
習字の授業をもっと実用的なものにしたら、社会活動の何%かは効率化する気がする。
ビジネスの現場でよく思うことなのですが……せっかく小学校で習字の時間があるなら、もっと将来社会に出てから役立つようなスキルを身につけられるようにした方が有意義なのではないのでしょうか。
具体的に何が言いたいのかというと「文字の書き分けができていない人が多過ぎる!」ということなのです。
これは字が汚いとかいうレベルの話ではありません。
字が汚くてもポイントをおさえている人間の文字はそれなりに解読できるのです。
ですが、多少上手くても肝心な書き分けのポイントをおさえていない人間の文字は読めないのです!
例は挙げればきりがありませんが、特に言うならカタカナの「ミ」と「シ」、「コ」と「ユ」など、ちょっとした角度の違いや、線が突き抜けているかいないかで全く別の文字になってしまうような字です。
これを氏名、特に漢字を書かずカナだけ書くような書類でやられるとものすごく困るのです。
なにせ「ミホ」と「シホ」だったり「コウタ」と「ユウタ」など、どちらの字を当てはめても通用してしまう名前もあるので、漢字などの判断材料がなければまず本当はどちらなのかが判断不能です。
文字が読めないということは、周りの人にとっても困ることですが(手書きの指示が全く読めないなど…)、何より本人にとっても死活問題だと思うのです。
だって、文字が解読不可能ということは、せっかくアンケートに答えて有意義な意見を書いてもそれが解読不能なために無かったことにされたり、懸賞の応募が名前・住所が読めないために無かったことにされる・もしくは間違った住所・氏名に届く可能性など様々なデメリットがあるということだと思うのです。
しかも困ったことに、肝心の本人が「字が読めない」という事実を自覚していないこともあったりするのです…。
そんなわけで、せっかく小学校で習字の授業があるなら、社会に出てから最低限「読める」字が書けるようなスキルをそこで身につけておけるなら(毛筆だけでなくペン習字みたいなことをするとか…。)、解読不能な指示を相手に確認したり、「これだ!」と思って読んだ文字が実は全然違う文字でミスになってしまうという事態が防げて、ビジネスの現場のみならず、社会における様々な場面で役立つこと間違いナシな気がするのですが…。
小学校の先生の負担が増えてしまうので無理ですかね…?