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大学サークル合宿の思い出


大学時代、夏と春に毎年サークルでの合宿がありました。

自分の場合はサークルを2つかけもちしていて、一方の文学サークルは夏のみの合宿、もう一方の音楽系サークルは夏・春の年2回の合宿だったので、スケジュール面と金銭面から夏は文学サークルの方に参加させてもらい、春は音楽系サークルの合宿に参加するという形をとらせてもらっていました。

(役職に就いた年だけは夏も音楽サークルの方に参加しましたが。)

文学サークルの方は「合宿」と名はついていても実際は昼は観光・夜は酒盛りという気楽なもので、現地集合可だったのでとてもラクだったのですが、音楽系サークルの方はいろいろと大変でした。

たとえ合宿の目的地と学校の場所が自分の住んでいる場所から見て真逆の場所にあろうとも、楽器の積み込みがあるため集合は学校

(自分の担当楽器は手持ちで持っていけるサイズのものなのですが、打楽器などの大きなものや譜面台などもあるので、楽器の積み込みは全員で、というのがルールでした。)

出発がわりと早い時間なので、始発に近い早朝の電車で2時間前後かけて学校に行き、貸切バスに楽器等の積み込みをして出発→高速で自分の地元のあたりを通り過ぎて目的地へ向かうという、何だかちょっと空しいことになっていました。

(そして帰りも当然学校で解散。)

そして現地に着けば、合宿中はほぼ毎日練習づけで、たとえ観光地であろうとも観光の時間などほぼ無いに等しく、申し訳程度に最終日あたりにレクリエーションとして(春には)「ボーリング大会」(夏には肝試し花火)がある程度でした。

そして夜や自由時間も完全に自由というわけではなく、次期役職決めの会議やら(←自分たちの代は本当に決まらなくて、文字通り一晩かかりました。)、先輩から後輩へのメッセージ入りサプライズ・プレゼントの制作(サークルの伝統)、食事当番やら掃除当番、役職の年にはレクリエーションの準備、さらには大学生にありがちの「激し過ぎる酒盛り」などもあったりして本当に大変でした。

でも、そんな当時は「大変だった」という記憶しか残っていない合宿の思い出も、過ぎ去ってみれば「あれはあれで楽しかったんじゃないか」という気もしてくるので不思議なものです…。

ちなみに自分の場合、サークルを2つかけもちしていたため、役職の年は役職を(パート・リーダー含め)合計3つかけもちするハメになりました…。

(その上、文学サークルは小規模過ぎて人数が足りなかったため、役職は2年連続…猫絵文字(汗1)

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テーマ : 部活
ジャンル : 学校・教育

「ありがとう」は魔法の言葉ではないと、もう知ってしまっているけれど…


日々心がけていることの一つに「どんな小さなことにでも感謝の気持ちと言葉を忘れない」ということがあります。

それは家族に対しても同じことで、雨の日に車に乗せてもらった時や、頼んでいた買い物をしてもらった時など、何かをしてもらったなら必ず「ありがとう」を言うようにしています。

たとえ家族であっても、何かを「してもらう」ことが当たり前になってしまって感謝の心を忘れていってしまったら、何か大切なものが失われていってしまう気がするので、意識して感謝を「言葉で表す」ようにしてきました。

1回1回はささいな「ありがとう」でも、積もり積もっていけば、それは目に見えない絆だとか信頼だとか親愛の情だとか、そういうものに育っていってくれるのではないかと、そんな風に思っていたのです。

…実際には必ずしもそうではないのだと、後になって打ちのめされることになるのですが。

言葉は、必ずしも口にした側の想いや願い通りに相手に受け取られ、受け入れられるわけではありません。

相手の耳に届くのはただ単純な「ありがとう」の「音声」だけ。そこに籠められた想いまで一緒に心に届くわけではありません。

その「音声」にどんな意味を読み取るか、汲み取るかは相手次第なのです。

相手がその「ありがとう」をただ形だけのものと受け止め、何の意味も見出さず、心にも留めずに流してしまうなら、それは相手の心に何を生み出すこともなく、ただ忘れ去られて消えていくだけなのです。

それまで大切に積み重ねてきたつもりだった無数の「ありがとう」が、相手の心に何も生み出していなかったことを知ってしまった時、正直、絶望に似た感情と空しさを覚えました。

そしてたぶん、それまで抱いていた世界や人生に対する願いや理想の何%かを「あきらめた」気がします。

どんなに綺麗で大事な「言葉」であっても、それだけで「魔法」のような奇跡を起こすことはできないのだと。

思えばそれまでの自分は夢のような「きれいごと」をただ信じるだけで、自分が今相対している「人間」という存在をちゃんと見つめられていなかったような気がします。

人間が世界や現実を見る「目」が一人一人違うということ、だからこそ同じ言葉であっても受け止め方は十人十色だということ。

自分の口にした言葉が、相手によっては、自分が意図していたのとは真逆の意味に受け止められてしまうこと。

全ての人間の心に同じように『響く』言葉など存在しないこと。

言葉は時に役立たずで、どんなに一生懸命、思いつく限りの言葉を紡いでも、全く相手に想いを伝えてくれなかったりするものだということ…。

世界がこうあって欲しいという「願い」や「理想」のフィルターを外して直視した「現実」は、ちょっと欝になりそうなくらいシビアで厳しいものでした。

それでも、結局、やっぱり自分は日々「ありがとう」を言い続けています。

たとえ相手の心に何も生まなかったとしても、少なくとも自分の心の中には積もり積もっていく「何か」がある気がするからです。

たとえいつもしてもらっているようなささいなことでも、そこに日々感謝を見出せる自分でありたいと思いますし、そういう自分の方が、自分で自分を好きでいられる気がするのです。

それに、言葉の受け取られ方が相手次第ということは、何百分の一かの確率で、ふとした瞬間の「ありがとう」が相手の心の琴線に引っ掛かる可能性もなくはないんじゃないかと思うのです。

世界や人生の何%かはあきらめたとしても、宝くじや懸賞の抽選が当たることを夢見るような感覚で、そんな奇跡をちょっぴり夢見てみるのはアリなんじゃないか、などと思うのです。

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テーマ : 人生を豊かに生きる
ジャンル : 心と身体

さて、次回作を何にしようか…


自分の場合、次回作はその前の作品を書いている最中から構想を練り始めるのが常なのですが、その次回作を何にするかは悩み中です。

(正確には、アイディアのストックはかなりの数あるのですが、その中からどれを選び、資料集め&調べ、プロット作りや下書きを進めていくのかに悩むということです。)

バランス的に、次は“剣と魔法西洋ファンタジー”あたりがいいかな…とも思うのですが、自分の脳内ストックにある西洋ファンタジー系のアイディアは、内容が壮大過ぎて着地点が見つかっていないものも多いので、いろいろと悩ましいのです。

あと、西洋ファンタジー資料集めが大変そう…というのがあって…。

他に候補があるのは明治時代の日本モノか、今度は「古代」ではないいかにも「和風ファンタジー」な異世界和風ファンタジーで、もっと恋愛に重点を置いたモノか…といったところです。

もしくは、西洋ファンタジーでも本編には入らず、とりあえず前日譚のようなものをお試しにちょこっと書いてみる…というのも考えています。

まぁ、当面は現在連載中の「魔法の操獣巫女エデン」を進めていくと思いますが。

もし次回作についてのご要望などあれば、今のうちにアンケート・フォームなどで一言コメントくださると影響される可能性大ですので、ぜひどうぞ

テーマ : ライトノベル
ジャンル : 小説・文学

虹と出逢える確率


この前の台風の後、を見ました。

今までも何度か、今にも消えてしまいそうな淡い虹や、ほんの小さな断片のような虹なら見たことがありますが、両端が(たぶん)地平線まで伸びたキレイな半円形の虹というのは初めて見ました。
(「たぶん」と言うのは、住宅の屋根に隠れてしまっていて完全に端から端まで見えていたわけではないからです。)

しかもハッキリと濃い主虹の外側に、うっすらと副虹が出ているという二重の虹でした。

こんなに大きな虹に出逢ったのも、こんなに赤から紫までのグラデーションがハッキリ見える虹に出逢ったのも初めてで、すごく興奮し、感動しました。

ですがこの虹、意外と気づいた人は少なかったようです。

思いきり同じ地域に住んでいる会社の同僚に訊いても「知らなかった」と言われましたし、ご近所でも、あの時家の外へ出て虹を眺めていたのは我が家くらいなものでした。

(逆に、家族で興奮して空を見上げたりカメラを向けたりしているのを、ときどき道を通りかかる車に怪訝そうな顔で見られたり…。)

虹はいくつかの気象条件が合わないと見られないものですし、その上あれほど大きく、くっきり鮮やかな虹に出逢えるのは一生に一度や二度あるかどうかというレベルだと思いますので、何だか「気づかなかった人たちはもったいないなぁ」と思ってしまいます。

自分は虹や彩雲などのレアな現象との出逢いが、わりと多い方だと思っています。

そしてたぶんそれは、運が良いとか悪いの問題ではなく、それだけ自分が「空を眺めている」回数が多いからだと思います。

以前の記事にも書いたことがありますが、自分は何気ない日常の風景の中に「美しい景色」を探すのが好きです。

いつも見ているような空や川や山並でも、天気や季節によって少しずつ色や姿を変え、一日だって同じ景色は存在しません。

その日見る風景は、決してありふれたものなどではなく、その日・その瞬間にしか見ることのできない唯一無二の景色なのです。

だから自分はふと気がつくと、まるで美術館の絵画や美しい写真集でも眺めるかのような目で周りの景色を「見て」いるのです。

そして、そうやって常に「景色」を探しているからこそ、虹を見つけられる確率も上がっているのだと思います。

他の人が大して気にも留めないようなモノにいちいち目を留める自分のことを、自分でも「ヘンな人間だよなぁ…」と自嘲することも多々あるのですが、たまにこうして他の人には気づけなかった特別な景色に出逢えると「こんな生き方も悪くないな」と、しみじみ思ったりします。



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テーマ : 小さな幸せ
ジャンル : ライフ

サイト更新情報(2016/8/28)


ファンタジー小説サイト「言ノ葉ノ森」のTOPページWEBデザインバージョンに変更しました。

まだまだ残暑はキビシイですし台風も心配な感じで、全然の気配はありませんが、9月になる前の最後の週末ということで…。

ということになると、なんとなく背景を赤やオレンジ系にしたくなります。

黄色や茶色系もアリだとは思うのですが、やはり赤系統が一番イメージ的にしっくり来る気がするのです。

ところで、今までの夏バージョンだとカウンターの数字がビミョウに読みづらかったのですが、今度はどうでしょう…。

オフラインでの作業だとカウンター画像が確認できないので、実際に背景画像を変更するまでどうなるか分からないのが辛いところです猫絵文字(汗笑)

テーマ : 更新報告・お知らせ
ジャンル : 小説・文学

プロフィール

津籠睦月

Author:津籠睦月
ネコ・犬・小鳥などの小動物大好き人間。
オリジナル小説サイト「言ノ葉ノ森」でファンタジー小説を連載中です。
詳しくは右側の「管理人ホームページ」からご覧ください。

 

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